Japanese car: TOYOTA エスティマ ESTIMA

2009年5月15日金曜日

TOYOTA エスティマ ESTIMA

初代(1990年-1999年)

初代は1990年5月12日に発売され、その卵をイメージさせる未来的なスタイルFuturistic style で注目を集めた。

従来のワンボックスカーでは前輪前・運転席下に位置しているエンジンを、横に75°寝かせることにより平床化に成功、前輪も運転席の前方に置くことにより、世界にも例を見ないアンダーフロア型Under floor type ミッドシップレイアウト Midship layout  が採用された。

驚きを持って迎えられたエスティマ ESTIMA ではあったが、日本国内ではその大柄なボディサイズが扱いにくいとされると共に、高額であったため、また北米市場では2.4Lエンジンが非力、欧州市場では高価だと言う理由で支持を得ることが出来なかった(海外名プレビア)。

また競合他車がV6エンジンを搭載する中で、直列4気筒と気筒数で劣るエスティマ ESTIMA は価格に比して、静粛性、ひいては高級感に劣ると評された。

それでもエスティマ ESTIMA は、独創的なスタイルとメカニズムをものにした、ある意味、トヨタらしい車でもあった。

当時の日本国内では、1991年6月に発売された、日産・バネットセレナが発売されて人気を博していた。

対抗馬としてのエスティマは大柄すぎたため、翌1992年1月には車幅を短縮、前後のデザインを変更し、5ナンバー(小型乗用車)枠に収めた(サイズは5ナンバー枠だが、エンジンが2000ccを超えているためガソリン車に限っては3ナンバー車扱い)「エスティマ・エミーナ(Estima Emina)」、「エスティマ・ルシーダ(Estima Lucida)」を発売した。

コンパクトな2ストロークエンジンを搭載した新時代のMPV(マルチパーパスビークル)というコンセプトの肝であるエンジンが完成しなかったために、エスティマ ESTIMA は非常に不幸なモデルライフを送ることとなってしまった。

販売台数を稼いでくれた子エスティマ ESTIMA では前席足元スペースが狭く、その乗り味も本来の親エスティマ ESTIMA が持っていた大らかな乗り味ではなく、ミッドシップを強調するキビキビ感が強調された味付けになっていることから、開発陣が目指したいたものとは違う方向となり、戦略の転換を余儀なくされた。

しかし、現在でもその際立ったスタイルから、カスタムカーのベースとして人気を保っているのは紛れもない事実である。

また、大らかな乗り味と、バランスの良いハンドリング、ミニバンを忘れさせるような運転のしやすさから、代わりになるクルマが無く、中々手放さないオーナーが多いのも事実である。

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